Everything we hear is an opinion, not a fact. Everything we see is a perspective, not the truth.

今自分が物事を知っているつもりになっていることが増えているように感じる。それは塵のように蓄積され、ゆっくりと事実から遠ざかる。事実を知らないのは怖いなと思うけど、事実など知りようがない。大体の話はその人の視点であり意見だ。自身の経験した"事実"ですら、言語化し人に伝える際に"意見"になる。

 

SNSで拡散される、刺激的で分かりやすい情報の数々。それがどこまで専門性があるのか、どの立場の人間が書いているのか、一目しただけでは正直なところわからないことが多い。さらには自分にそれらの専門的な知識がないので、信用性についての判断は他の専門家の集合知に頼ることになる。

 

簡単に入ってくる情報が多い。そしてそれらのノイズが多い。これだけで自分はかなり消耗している。最低限得られる情報の選別をしたい。受動的になるのではなく、自発的に。

 

正直、人についても少し消耗している。SNSではあまり好きじゃないけど、会うと信頼できるし好きだなと思える人はたくさんいる。内部、外部、より多数の人に向けた外部(SNS)の3つの層があって、内部とSNSの乖離の差が見えるとストレスを感じる。それは自分のSNSの使い方に対しても感じていた。他人よりなにより、自分を一番消耗させているのが自分だとわかって、前のツイッターアカウントを使うのを辞めた。

 

自分のことだが、SNSがどうなろうと、依然として自分の内部と外部はかなり距離があり、関係はあまり良くない。この距離をゆっくり縮めていくのが当面の目標。自分のこともそうだし、音楽に対しても。