クレモンティーヌを味わう

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コロナで大学の活動もあまり活発じゃない中、この1月は珍しく落ち着かない月だった。オンラインでの小さな演奏会、友人の試験の手伝い、副科の修了試験、修士論文提出、コンペの録音など。今からちょうど1年ほど前に、楽器もプログラムも編成も全然違う演奏会を2週間に5つほど入れたら見事に燃え尽きてしまって、自分を取り戻すのにほとんど1年かかってしまった。この経験は数ある燃え尽きの原因の1つでしかないけど、私にとってとどめの一撃になったことは間違いない。同じことを繰り返したくなくて、適度にセーブしながら過ごしていた。

 

セーブしていたからなのか、演奏の感覚が全然戻ってこない。技術的には前より確実に良くなっていると感じている。ただ1年前と同じような感覚が戻って来ていない。「ここでこうする、ああする」などと考えないと弾ききることが出来ない。演奏するときの姿勢すら文字にしないと不安になる。大事な演奏前に全然緊張しない。かといって弾き始めたらものすごく緊張するし、録音では演奏が止まる。

 

考えることがたくさん、こんなに考えることがあるのに感覚ってどう使ってたっけ。今より調子が良かったときに、こんなに色々考えて弾いてた記憶がない。前はもっと感覚で弾けてたけど、それって私が何も知らなかったからうまくいってたと思い込んでただけだったのかな。練習不足ではないと思うけれど、昔弾けていた曲の感覚がここまで戻ってこないものなのか。それならなおさらちゃんと考えて、決め切って弾かなきゃ最悪の事態になる。ただ、歩行や呼吸に自分の考えが必要ないのと同じで、演奏中にあまり考えて弾いてたことはなかった気がする。ここまで脳も耳も身体もバラバラになってる自覚があるのは、初めてのことかもしれない。

 

これは沼に足を沈め切る前に抜け出す必要がある。そういえば最近は時間の余裕も食欲もなくって、スーパーで買った2㎏のクレモンティーヌばかりを買い足して食べていた。同じネットに入っているのに、形や硬さによって味がちょっと違うなあと思ってはいた。日本で買うミカンはこんなに味が変わることはなかったから、初めのうちはコロナに感染したときの味覚障害かと思っていたんだけど、味覚は正常だった。

 

というわけで、これを使って感覚のリハビリをしてみようと思った。ネットから取り出す。皮は押しても握っても全然へこまなくて、野球の硬球を小さくしたものを触っているような重みがある。皮にぽつぽつがあることは知っていたけど、このぽつぽつは凹ではなく凸だった。どこかで見たことがあるなと思ったけど、自分の目の下の肌に似ていた…。剥こうと思って剥きやすい方に指を刺したつもりだったけど、ヘタが取れていたことに気づかずヘタ側から剥いてしまった。オレンジを素手で剝いているような剥き辛さ。皮は20ピースくらいのパズルみたいになった。実にはスジどころか白い皮がびっしり付いていたのだけど、白いところに栄養があると聞いたことがあったのでとりあえずそのままにした。

 

実を割って房を1つ取り出す。薄皮ですら結構硬そうな触感だった。房を嗅いでみたら爽やかで強烈な香りがしたけれど、まとまってる実の方はそんなに香らなかった。なんでだろうと思ったけど、表皮を向いた時の香りが指についていただけだった。そのまま房を口に放り込んで噛んだら種が入っていた、見ただけで種に気付くことが出来ないくらい、白く濁った不透明な薄皮だった。果汁のじゅわっとした食感は少なく、薄皮の存在感が気になる。よくよく味わうとちょっと苦みを感じた。今までクレモンティーヌを食べてきて苦いと感じたことはなかったので新鮮な驚きだった。新しい房を取り出して半分に割ってみた。果肉というのか、つぶつぶがとてもしっかりしていた。上手に炊けた白米くらいしっかりしている。意外とおもしろい体験だったので、そのままセロリやフムスを味わってみたら、いつも以上に味の存在感があった。良くも悪くも濃い。今まで刺激のある食べ物じゃないと満足感を得られにくかったけど、しっかり満足した感覚がある。

 

しばらくこんな感じで、生活の中で丁寧に感覚を使う時間を取ってみようかな。練習もそう、手を動かす時間を削って、その分楽譜を読んで味わう時間を増やしたり、自分や人の演奏に耳を傾ける機会を増やした方がいいのだろう。自分は内側に籠りやすい性格だし、そしてなおさらこの時期だから。