狂気と共存

狂気を狂気たらしめるのが、狂気の外側にいる人間と社会ならば、狂気の目から外側の世界はどう見えているんだろう。

 

差別、誹謗中傷、辛いニュースが多い昨今、これらの善き登場人物たちと悪者を共存させるには、どうすればいいんだろうと俯瞰してみる。この悪者の定義は、昨日と今日では全く違ってしまうことがある。悪者として扱われていた人が、亡くなってしまってからは可哀そうな人として扱われて、その人を誹謗中傷した人たちが悪者になった。

 

悪者は本当は何を考えていたのだろう。悪者からも狂気は見える。悪者にとって狂気に思える意見や行動がある。

 

よく悪者は、善き登場人物たちを恨んだり攻撃する。でも本当に悪者にとって辛いことは善き登場人物の存在ではなく、自分が人々から受ける不当な扱いが大半だと思う。埋めなきゃいけない溝は「不当な扱い」の部分であり、それは登場人物の大半が協力する必要がある。なぜ大半かというと、多分全員は無理だからだ。大半の作り出す社会が、溝を認識して、そこを埋める必要がある。この溝が埋まらなければ、お互いを一生攻撃し続けるので、誰にもメリットがない。いや、一部の人間はそれを望むかもしれない。

 

その一部の人間は、自分の生活を有利なままにするために、現状を変えようとしなかったり、より自分たちに有利なほうに物事を進めようとする。自分たちの周りの差別や不当に気付くということは、こういう人たちの怪しい動きを阻止したり、世の中の「辛さ」を減らしていく力になる。

 

私たちは共存しなければならない、同じ星に存在している以上、それは避けられることじゃない。だから、起こっている出来事を知ること、間違ってもいいから自分の意見を持ち他人と穏やかに話してみること、自分の範囲の外側にいる人間か何を考えるのか想像することが、今世の中に必要なことだなと感じている。